静岡県で人気のハンバーグ屋さん「炭焼きレストランさわやか」。
県外からの人気も高く連日多くのお客さんで賑わっています。
今回はその創業者・富田重之さんについて調査。
ぜひチェックしてみてくださいね。
富田重之(さわやかハンバーグ創業者)の経歴まとめ

- 学校卒業後染色メーカーに就職
- 1977年:「コーヒーショップさわやか」オープン
- 1989年:「炭焼きレストランさわやか」に店名変更
- 2004年:自社工場の立ち上げ
それぞれ見ていきましょう。
学校卒業後染色メーカーに就職

結核とは、「結核菌」という細菌による慢性感染症です。
引用:公益財団法人結核予防会
染色メーカーで勤務していたものの、3度結核を患い10年ほど闘病生活を送っていたみたい。
この闘病生活はつらいものだったようで、この期間に『食べる』ことだけが楽しみだったとか。
その経験がさわやかの創業につながり、2024年現在では広く知れ渡る店舗になったんですね!
1977年:「コーヒーショップさわやか」オープン

1977年 7月 コーヒーショップさわやか 菊川本店オープン
引用:炭焼きレストランさわやか公式HP
その後1980年から1988年までの間に、県内に5店舗展開しています。
ちなみに1977年の開業時から、ハンバーグを目玉商品として活動されていたようです。
店名は違えど、方向性は当時から変わっていないんですね。
1989年:「炭焼きレストランさわやか」に店名変更

1989年 8月 さわやか株式会社に社名変更
炭焼きレストランさわやかに店名変更
引用:炭焼きレストランさわやか公式HP
店名変更後次々に店舗を展開して、2024年3月現在では県内34店舗まで事業を拡大しているようです!
順調に見えるさわやかですが店舗を展開していく段階で、品質やサービスの劣化が生じてしまい一時期は客足が遠のいていたとか。
その状況を覆すために
- おにぎりハンバーグ
- げんこつハンバーグ
メニューを絞って看板商品に注力することで、人気を取り戻したそうですよ。
静岡県民がいつもおいしいハンバーグを食べられるようにしてくれてありがとうございました。
またおいしいハンバーグを食べに行きます。
いまや静岡といえばさわやかだね。
たまに無性に食べたくなる。
店名を「炭焼きレストランさわやか」にしてからおよそ30年、知名度は高く多くの人に愛される店舗となっているようですね。
2004年:自社工場の立ち上げ

日本でも平成13年9月以降、平成21年1月までの間に36頭の感染牛が発見されました。
引用:厚生労働省HP
2001年に国内で狂牛病が流行し、牛肉をメインで扱うお店は大打撃を受けることに。
安全で健康なお肉を消費者に届けるため、自社工場の立ち上げを決意したそうです。
そうして2004年7月本部総合センター用地に本社工場を建設しました。
富田重之(さわやかハンバーグ創業者)の学歴まとめ

富田重之さんは2024年3月現在84歳のため、卒業校は無くなっていたり名前が変わっていたりするかもしれませんね。
富田重之さんは学校卒業後、県内の染色メーカーに就職しています。
そのことから学校も静岡県内の可能性がありそう。
富田重之(さわやかハンバーグ創業者)の年収は7億円超え?

年収のシミュレーションをしてみた結果、7億円以上の収入があっても不思議ではないことがわかりました。
2021年度の売上高は年商72億円を記録しており、静岡限定のローカルチェーンということを鑑みると異例の好成績です。
引用:現代メディア
仮に営業利益率を10%とすると、年商1億円・月商840万円の店舗が必要となる。
引用:飲食店ドットコム
飲食店の経営者が年収1000万円を得るには、年商1億円程度必要みたい。
さわやかは2024年現在34店舗を展開していて、2021年の年商は驚異の72億円。
もちろん1つのシミュレーションで参考程度に過ぎないため、真実は不明ですが年収7億円超えでもおかしくない売上のようです。
まとめ
富田重之さんの経歴は
- 学校卒業後染色メーカーに就職
- 1977年:「コーヒーショップさわやか」オープン
- 1989年:「炭焼きレストランさわやか」に店名変更
- 2004年:自社工場の立ち上げ
こんな感じ。
卒業している学校については公表されておらず、わかっていません。
ただ静岡県内の学校を卒業している可能性がありそう。
さわやかの年商は2021年72億円で、富田重之さんの年収は7億円超えの可能性も。
県内外問わず人気があるさわやかのハンバーグをぜひ食べてみたいですね!